このタイトルでおくる言葉を書いてからもう一年半にもなるンダね、、、。
2012年8月前田の卒業の際、私が語ったブログコメントが?ずいぶんと誤解を生み? ‘AKB運営と確執’とか‘出禁’などというあり得ない記事になっていることを私はずいぶん後で知りました。
あの長い文章の中で本当に伝えたかった真意は、モーニング娘。時代から幾度となく経験してきたメンバーの卒業というものの寂しさ、そして、前田への贈る言葉、この二つだったのだけど、すべてを語り尽くせない中で、並べるひとつひとつの文字に、言葉選びに、慎重さを少しも欠いてはならないと反省もさせられました。
単なる想像から生まれ、勝手に膨らんで行くただのうわさと反応だと、しばらく見過ごしていたものの、まさか私のブログが原因?と気付くのに時間がかかったのは、自分にはそんな(確執という)気が全くなかったからだと思います。
大島への贈る言葉の前に、その点を説明しておいた方が良いのかな、、、今だから言える話になるかもしれないけれど。
「いろいろあったからね」と書いたのは、
ひとつの楽曲を振り付けするのとは違い(一曲の振り付けを仕上げておしまいというのではなく)、このAKB48という大プロジェクトをゼロから立ち上げ、土台をつくり、システムを構築したのだから、それはそれは当然いろいろあったワケで、そのようなことはあって然るべきで、その言葉が少し愁いを帯びてしまったのは、なつがAKBとの契約満了後、当時弊社を退社した助手がAKBの振付現場にいたという事実を、ハロプロ事務所のとあるマネージャーから指摘され、すごく困った上に弱ったし大きく深く傷ついたことにある。
「気まずそうな顔を浮かべるだけで返事が返って来なかった」と書いたのは、
なつがその質問をした現場が、そのスタッフにとってとても居づらかった場所だったからだと今では推察できる。 その後、別のスタッフから誰ですかそれは?といった詳細を知るべくメールと謝罪の言葉が届いたし、昨年のリクアワの際もお話しすることができた。 NHK紅白の現場で会った際、他のスタッフもその事態を説明しつつ謝ってくれた。
総合プロデューサーである秋元さんとも、本当にたまにだけどメールすれば必ず返事を下さるし、年に一度NHK紅白で当時からいるスタッフに会った際も、挨拶のみならず言葉も交わす。 立ち上げ当時、共に切磋琢磨した懐かしい顔触れに会うのは、私にとっても嬉しいことだ。
私は常に正直に誠実にありたいと思っている。 こういうと美しく聞こえるかもしれないけど、真実を述べることが、誰かを傷付ける結果を招きかねない時は言い方を変えたり言葉を選んだりする必要があるよね。 でも、それがかえって伝わり難い内容になってしまったり、、、でもやっぱりウソは苦手、それが私の弱点でもある。。。
今回で誤解が解けることを、あまりにも膨らみ過ぎた噂が本当のことだけになることを願っています。
近いうちに大島が卒業するけれど、ファンの皆さん、これからもAKBグループの応援をよろしくお願いします。
なぜ、いま、こんなことを文字にする気になったのか、、、。 大島の卒業を控えて、大島のファンから届いたコメントに心の奥で反応してしまったのかもしれない。
ハロー!プロジェクトもAKB48も、うんと以前に卒業したメンバーも、これから卒業していくメンバーも、残って活動を続けるメンバーも、なつにとっては、心から愛情を注いで叱った子供たちだ、本当に愛する教え子たちなんだ。 この気持ちはいつまでも変わることはないんだ。
大島へ
君はいつも冷静で、平常心を持った目で、周りを、他のメンバーを、そしてあらゆる状況を見ていたね。
なつは大島を叱った記憶は無いよ。 ただ、大島は人に注意していることも自分のことのように聞いていた。
メンバー全体に言っている言葉もすべて自分に振り返って受けとめようとしていた。
そのクルクルした瞳で、なつの姿を、動きを、言葉を、まっすぐ受けとめるべく見つめてくれていたっけ。 その目には時々なつもドキドキさせられたよ(*^^*) 背中に穴があくかもしれないと思う程だ(笑)
とても賢い子だからね、心配はしていない。 けれど、ふぅ〜って気を抜いたりして、またガァっと進んでみたりしてみて。 自分のことだけを考える時間があってもよいと思うょ。
最近では、前田が抜けた後のさらなる重圧を押しのけて、後輩への気配りも忘れず、見事に成長を遂げ輝きを増していました。 その輝きは鈍ることなく続いて行くと信じています。
大島、本当にお疲れさま。 残り少なくなったメンバーとしての活動を悔いなくまっとうして下さい。 ほんの少し早いかもしれないけど、、、 卒業おめでとう。。。
追伸:卒業してからも私のなりすましには気をつけてょ(^^)