昨今、最もご要望いただく機会の多いテーマです。
講演会で必ずお話ししていること
「怒る」と「叱る」の違い
ご存知の方も多々いらっしゃると思いますが、
『エースと呼ばれる人は何をしているのか』を出版して以来、それまでには想像もしていなかった講演会講師という業務が新たに大切な仕事のひとつとして増えました。
もちろん、それに伴い2冊目のビジネス書『教え子が成長するリーダーは何をしているのか』も出版するという嬉しいことにも繋がりました。
私がこれまでやってきた事、考えや想うこと、経験を言葉と文字にすることで、私自身実際に行なってきた人材育成というお仕事から明確に 教育 というものへの意識が強くなりました。
さて今回は、この講演会で常々お話している事に少々触れてみたいと思います。
講演会で必ずこの話をします、「怒る」と「叱る」の違い。
「怒る」とは喜“怒”哀楽、人間の四大感情の二番目にある、とても感情的なもの
かたや「叱る」とは、その人に気付きを与え成長を加速させるための声がけ、だから物凄く冷静なのです…と。
冷静だからこそ、相手の反応をいち早く察知することができ、その人間の心に響く言葉を探すことができ、そのタイミングを逃さず言葉をかけることが出来る。
たとえ口調を多少なりとも荒げたとしても、決して怒らず、叱って下さいね、、、なんて風にいくつかの例をあげながら、時に、「叱り力」なんて言われながら、お話をしています。
夏まゆみの場合、すでに、20年前の映像が定着しイメージだけがかなり進行しているため、どれ程優しくしても怖がられる>_<…
ねぇ… これってすごいことじゃない? イメージの方が強いんだょ、本物が前にいるっていうのに…
目の前に優しい夏先生がニコニコ笑いながら存在しているのに(笑)目の前の優しい夏先生は意味をなさず、“きっといつかは怒り出す… だって、この人あのこわいコワイ夏先生だもん”・・・
アイタタタ…(>人<;)
脳内の固定されたイメージの方が強いようです・・・。
叱ることのエネルギー源は愛情。強くて深い愛情。
これがないと全く無理、全然叱れない。
もしかして叱るどころかなんの指摘も言葉もかけられていなかったら、ただただ優しくされてるだけだったら、あきらめられてると思った方がいいかもしれない!?
夢を強く思っている人の瞳の奥には強い光が宿る。
それは、人を魅了させるほどの輝きを放つ。
それは、人をも動かす力を持つ。
その輝きを持つ人とともに歩み、
その夢の実現に少しでも早く、
そして、その夢が叶うようお手伝いするのが私の仕事。
・・・それでも最近、叱ることへのパワー不足(^^;
歳のせいかな…ちょっぴり弱気なのは・・・
夏先生、こんにちは。
「怒る」と「叱る」は永遠の課題のような気がします。
NHKの「助けて!きわめびと」を思い出しますね。
その人に対する愛情が強く、その人の事を思っていても、叱り方がわからず、つい怒ってしまいます。
でも最近その「叱る」事が出来なくなってきたような気がします。
愛情を持って、その人のために言っても、ちょっと口調が強くなると、「パワハラ」と言われてしまいます。
その人の成長を促すための言動でも、相手が嫌な気持ちになれば、「パワハラ」の一言で片付けられてしまいます。
モーニング娘。に対する昔の怖い先生の指導は、今では「パワハラ」で片付けられそうですね。
先生がやっていた、その子をギリギリまで追い込んでその子の「底力くん」を出させて成長を促すなんて事は、今の世の中出来ない気がします。
学校の先生もそうですし、会社の上司もそうです。
少し強く言うと「パワハラ」と言われるので、今は何も言えなくなっています。
今の子達は、何も言われない事を自分を無視されていると悲しく思わず、それを良しとしています。
普段から言われ慣れていないので、ちょっと言われるとへこんだり、逆ギレしたりします。
耐えられない子、我慢出来ない子、壁にぶつかっても乗り越えられない子になってしまっている気がします。
自分は昭和の人間ですから、その人のためになるなら、強い口調になってでもどんどん叱るべきだと思っています。
そうしないとその人の為にならないから。強くなれないから。成長できないから。人を思いやる人になれないから。
先生は指導者として、今の世の中とても難しいと思いますが、歳なんて言わないで、もっともっと叱ってください。
少しでも良い世の中になるように。
なんなら、昔のように私もどんどん叱ってください。笑
暑くなってきました。熱中症に気をつけて、どうぞご自愛ください。
夏先生が注意する時感情的になっているところを見たことがないです。
いつも、諭すような冷静な口調。
そうなんだ、こんな事があるんだと読ませていただいて納得しました。